藤色の若き虎6

「……んあ? どこだ、ここ」

 スモーカーは痛む頭を押さえながら体を起こすのも億劫そうに目を覚ました。
 ズキリと身体のあちこちに痛みが走り、ただでさえ強面な顔が一層険しくなっている。

「あ、起きたんですねスモーカーさん。もうお身体は大丈夫ですか?」

 するとスモーカーの近くに居た、というか気を失った彼をここまで運んで来たたしぎは、そう言って起き上がろうとしていたスモーカーの身体を支えて起き上がるのを手伝った。

 彼らはツバキの部下として招集される前までは上司と部下という関係であり、今でもその時の癖でたしぎがスモーカーの後始末をすることが多い。
 本人は何とも思っていないが、ツバキの仕事を自分から手伝ったりと、彼女は海軍の中でも何かと損な役回りになることが多かった。
 今回も倒れたスモーカーの介抱をするのは自然と彼女の役目になっている。

「たしぎか。オレは一体どうしちまったんだ?」

「え、ちょっと、本当に大丈夫ですか? スモーカーさんはツバキさんと戦って気を失ったんですよ。覚えてませんか?」

「あぁん?」

 そう言われたスモーカーはボロボロになった自分の身体を確認し、ようやく自分が敗北したことを思い出した。

「……そうか。負けたのか、オレは」

 ツバキとの戦いを振り返ってみれば一方的なもので、まるで新兵の時に教官から手ほどきを受けていた頃の記憶が甦ってくるようだった。
 何度やっても勝てる気がしないと感じたのは、悔しいがこれが初めてでは無い。
 だが、ここまで自分の力が無力だと感じたのは間違いなく今回が初めてである。

 ただ今のスモーカーには不思議と悔しさがそれほど無かった。
 自分のすべてを出し切った末に負けたからか、ある種の清々しさが心に宿っている。
 無論、機会があれば今すぐにでも再戦したいと思っているのだが。

「途中まではいい感じだったんですけどね。スモーカーさんの攻撃だってもう少しで当たりそうでしたし」

「はっ、あれがまともな勝負に見えたんならお前の目は節穴だ。あいつ……藤虎は最初から最後まで手を抜いていやがった。オレ程度じゃ本気を出すまでもないと言われているみたいだったぜ」

「え、あれで手を抜いていたって言うんですか?」

 たしぎは信じられないと聞き返すが、スモーカーは懐から新しい葉巻を取り出しながら首を縦に小さく振った。

「そうだ。あいつは強い。それこそ、単純な戦闘力で言えば海軍全体でもトップクラスだろうよ。下手すりゃ歴代の大将の中でも最強と呼ばれる日が来るかもしれねぇ。さすが、いきなり大将の座に就いただけの事はある」

「スモーカーさんがそこまで言うなんて、そんなに強かったんですね、ツバキさんって……」

 たしぎから見たツバキは、そこまで凄い人には見えないというのが正直な感想だった。
 良くも悪くも普通の男。
 他の大将のような圧も感じなければ、話しやすくてむしろ軍人には見えないくらいである。

 だからこそ出会った当初は緊張していたたしぎも、今では気軽に言葉を交わせるくらいに親しくなれたのだ。
 もちろん大将に選ばれるくらいなのだから強いとは思っていたが、まさかそこまで飛び抜けた強さを持っているとは夢にも思うまい。

「やつは間違いなく『虎』だ。それも普段は小動物の皮を被っていやがる、な。どっちが本性なのかはわからねェが、あの強さだけはホンモノだ」

 今よりももっと強くなる為に、スモーカーはツバキを利用する気満々である。
 幸いと言うべきかあの男の部下になったのだ。
 また手合わせする機会は訪れるだろう。
 何なら自分から師事しに行くのも悪くないと、スモーカーは獰猛な笑みを浮かべていた。
 たしぎはそんな彼を見て、『また危ないことを考えているんだろうなぁ』と遠い目をしている。

 そこでふと、スモーカーは周囲の者たちがどこかピリピリした空気を発していることが気になった。

「ところで周りのやつらはさっきから何をそわそわしてやがる?」

「今からツバキさんとサカズキ元帥が戦うんですよ。そして、ちょうど今からお二人の試合が始まります。大将と元帥が戦っているのを見られる機会なんて滅多にありませんし、スモーカーさんも観戦した方が良いんじゃないですか?」

「あぁ、そういえばそんなこと言ってたな」

 これからそんなイベントが待っているのならば、このピリついている空気にも納得である。
 スモーカーは口から大量の白煙を吐き出し、ボロボロの身体に鞭を打って立ち上がった。

 

 ◆◆◆

 

 対峙しているのは二人の男。
 一方は藤色の着物に正義のコートを羽織っているツバキ。
 そしてもう一人は海軍総大将――元帥サカズキ。

「叔父貴、もう一度だけルールを確認するよ。まず、お互いに悪魔の実の能力は使用禁止。それから周囲に危険が及びそうな攻撃も禁止。そして最後に相手が死ぬような攻撃は出来るだけ禁止。OK?」

 サカズキは『マグマグの実』を食べたマグマ人間だ。
 その名の通り灼熱のマグマを自由自在に操ることができ、全力のその力が振るわれれば島が一瞬で焦土と化す。
 悪魔の実は数多くの種類があるのだが、その中でもマグマグの実は力は非常に危険とされているほど。

 そして、ツバキも悪魔の実を食べた能力者である。
 しかもその力はサカズキのマグマグの実と比べても勝るとも劣らないほど強力なもので、その気になれば海軍本部を壊滅させることもできるほどの力を秘めている。
 故にこの両者がぶつかり合えば、決着がつくよりも先にこの島が地図から消えてしまうだろう。
 引っ越しを済ませたばかりの海軍本部を潰す訳にはいかないので、だからこそ力の縛りは絶対に必要だった。

「ああ、わかった。つまりは小僧を加減してブチのめせばええっちゅうことじゃろう?」

「……ま、それで良いや。ところで叔父貴は何か得物は使わねェのかい?」

「ワシにはこれがある」

 そう言ってサカズキは鍛え上げられた拳を突き出した。
 拳は傷だらけでお世辞にも綺麗なものではなかったが、それはまさしく武人の拳。
 並みの武器よりもツバキには恐ろしく感じる。

「そうかい。なら俺は遠慮なくこいつを使わせて貰うよ。叔父貴相手なら全力を出さないと失礼だろうからね」

「当たり前じゃろうが。むしろその程度じゃハンデにすらならん。なんならもっとハンデをやろうか?」

「ははは、それは面白い冗談だねェ。叔父貴はもうお爺ちゃんだし、俺の方こそ何かハンデを付けようか?」

「あ゛?」

 ツバキの挑発に怒気……というよりももはや殺気を放つサカズキ。
 すると、それを一身に受けたツバキの中で何かがカチリ、と切り替わった。

 ――虎が小動物の皮を脱ぎ捨てた瞬間である。

 

   

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