最初に動いたのは、ツバキ。
カツン、カツンと下駄の音を立てながら少しずつ、しかしあくまでも自然体でサカズキの方へと近付いて行く。
あまりに無防備なその行動に、この戦いを見守っていた海兵達は思わず首を傾げていた。
ただ、その瞳だけは既に獲物を狙う獣である。
それも戦いを心底楽しむ性を持った、どうしようもない獣。
今も堪えきれずに獰猛な笑みを浮かべて笑っている。
「ひっ!?」
それを偶然見た海兵が悲鳴をあげてしまうほど、今のツバキは普段の温和な表情とは打って変わって凶悪な面構えであった。
サカズキと見比べても見劣りしないくらいの恐さだと言えばその凶悪さが分かるだろうか。
普段からこんな顔をしていれば、誰も海軍大将に相応しくないなどとは言わない筈だ。
もっとも、その場合は誰も寄り付かなくなってしまうだろうが。
「す、スモーカーさん。ちょっと息苦しくないですか?」
「ああ、これはあの二人の圧力だな。ただそこに居るだけでこの威圧感。もしかするとあれは……覇王色の覇気が漏れ出しているのかもしれん」
「覇王色?」
覇王色の覇気というのは特別な覇気である。
身体に強固な鎧を纏う武装色の覇気、周囲の気配や人の感情を読み取る見聞色の覇気、そして敵を威圧するだけで気絶させる覇王色の覇気。
前者の二つとは違って数百万人に一人という確率でしか生まれない覇王色の覇気の持ち主は、生まれ持ったカリスマ性があり、歴史に名を残すような大物となる人物が多くいる。
スモーカーはこの息苦しさに、それと似た感覚を覚えていた。
「頂上戦争で麦わらが出したアレだ。攻撃してないに関わらず、周りの人間がバタバタと倒れていただろう。どうやらそれが抑えきれずに溢れ出しているんだ。向こうを見てみろ。新兵の顔色が真っ青になっていやがるぞ」
「あ、ほんとだ。でもあの時みたいに倒れている人はいないみたいですね」
「言っただろ。漏れ出しているだけだとな。あの二人が本気で覇王色の覇気を使えば、この場にいる奴らのほとんどが気を失っちまう。一応それくらいは考えているんだろうな。これは無意識のうちに漏れ出た絞りカスだ」
「絞りカスでこれだけの威圧感ですか……」
たしぎは驚きと畏怖の感情が同時に湧き上がってきていた。
存在しているだけで息苦しくなるほどの強さなど今まで聞いたことがない。
自分の夢を叶える為には力がいるのだが、もしかすると目の前にいる彼らのような存在とも戦わなければならないかもしれないのだ。
彼女の手に自然と力が入っていた。
「それよりも、そろそろ始まるみたいだぞ」
たしぎが視線を二人に向けたと同時に、ツバキの姿が一瞬でかき消える。
「え?」
「……おいおい、なんてスピードだよ。一体俺はどれだけ手加減されてたんだァ?」
この場にいる者のほとんどはそれを目で追う事が出来ず、将校の一人でもあるスモーカーですらツバキの姿を見失ってしまったようである。
次に彼の姿を見たのは、既にサカズキへと斬り掛かっていた後だった。
「叔父貴、やっぱり少し衰えてるんじゃない? 昔ならこんな単調な攻撃、無傷で反撃すらしてきたのに」
拳から滴り落ちる赤い液体。
武装色の覇気で最強の鎧をまとっていながらも、ツバキの居合術を完全に防ぎきることは出来なかったようだ。
その事実にサカズキは、表情には出さなかったが内心では驚いていた。
(ほぅ、ワシの武装色を上回るか。小僧のくせにやりおる。それにワシが衰えたんじゃなく、小僧が成長したんじゃろうが。まったく小生意気に育ちおってからに)
流れる血を振り払い、サカズキはこんなものはかすり傷だといわんばかりに恐ろしい笑みを浮かべる。
「フンッ、この程度で調子に乗るな。すぐに泣かせちゃるけぇ、覚悟せぇ」
「ははっ、それは楽しみだ。これなら久しぶりに楽しく暴れられそうかなァ。――次は本気でいくよ?」
「むっ!」
刀に覇気を纏わせ、息をもつかせぬ攻撃で畳み掛けていく。
ツバキの基本の型は居合術だ。
高速で放たれる斬撃はどれも必殺の一撃であり、練度の高い武装色の覇気と合わさって途轍もない威力を有している。
並みの武装色では対抗出来ずにあっさりと切り裂かれるほどの鋭さを持ち、それが振るわれている速度も鞘から抜いているのが視認できないほど速い。
片やサカズキはそれに対して素手で互角に渡り合っているのだから、流石は海軍元帥という所だろう。
「あぁ、楽しいなァ……! こんなに動き回るのも本当に久しぶりだよ。流石は叔父貴、俺をもっと楽しませてくれ」
「生意気な小僧が、調子に乗るなぁ!」
スピードはツバキが上。
力ではサカズキが上。
技術は……おそらくほぼ互角。
しかし、年の功と言うべきか経験はサカズキが上だった。
「っ! もう俺のスピードに慣れちまったのかい。そいつはちょっと予想外だなァ」
「ほざけ。すぐにワシの前に這い蹲らせちゃるけぇの!」
高速で動き回りつつ、少しでも隙を見せれば斬り掛かって来るツバキの速度に、この短時間でサカズキは既に順応していた。
最初こそ小さな切り傷を負っていたのだが、今では刀を上手く捌いて反撃するだけの余裕が生まれているのだ。
まだその攻撃がツバキには当たっていないとはいえ、徐々に形勢が傾いてきつつあった。
サカズキはツバキとは比較にならないほどの戦場を渡り歩いている。
その経験の差が、この適応力に如実に現れていた。
(口では色々と挑発していたけど、叔父貴のことを舐めていたつもりは微塵も無かった。でもこれは俺の予想以上だ。ホント、この人はいつも俺を楽しませてくれるなァ)
凶暴な笑み浮かべ、ツバキは気合いを入れて再びサカズキと相対する。
少しずつ劣勢に追い込まれていっているこの状況すらも、彼からすれば楽しむ為の極上のスパイスでしかなかった。
まだ戦いは始まったばかり。
むしろここからが本番で、今までの戦いは小手調べのようなもの。
戦闘はさらに激しさを増していく事だろう。
誰もがこの戦いの行く末を固唾を呑んで見守っていた。
「それじゃあもう一度いく……ッ!?」
そして、もう一度斬り掛かろうと下半身に力を入れ――上空から強烈な存在感を感じ取って急遽防御姿勢を取った。
その数瞬後、訓練場には金色の大仏が降り立ち、その衝撃でツバキの身体は数メートルも吹き飛ばされてしまう。
「バカタレ共、いい加減にやめんか!」
そんな怒声と共に、元帥対大将という異例の手合わせは幕を閉じたのだった。