どこまでも広がる青い海。
比較的穏やかなこの海域に、巨大な砲塔がいくつも設置してある物々しい海軍の軍艦が一隻だけポツンと浮かんでいた。
その軍艦の帆には『MARINE』の文字と海軍のマークが描かれており、一目で海軍の船だとわかる見た目となっている。
「は、離しやがれ政府の犬どもが! オレ様はいずれ海賊王になる男だぞ!?」
そして、その船の甲板でひとりの男が大声を上げて暴れていた。
彼は海賊である。
既に海軍によってその海賊が乗っていた船は海の藻屑となっていて、本人も海楼石と呼ばれる特殊な鉱石で作られた手錠で拘束されている。
状況的には詰んでいると言ってもいい。
だが、捕まった海賊はいっそ死んで方がマシといった扱いをされるのだ。
こうして最後の最後まで抵抗するというのは珍しいことではなかった。
「少し黙ろうか」
「ッ……!?」
しかし正義のコートを羽織った男――ツバキが捕縛されている海賊に鋭い視線を向けると、あれほど騒ぎ立てていた男がまるで蛇に睨まれた蛙のように大人しくなる。
この先に待ち受ける恐怖よりも目の前にいるツバキへの恐怖が勝ったのだ。
顔を真っ青にしてガクガクという音が口から漏れ出ており、先ほどまでの威勢はパッタリと見られなくなっていた。
ようやく静かになったことに満足し、ツバキは部下であるメイナードの名前を呼ぶ。
「この男の首にはいくらの賞金が?」
「8500万ベリーです。こいつらの海賊団はグランドラインへ出入りしている商船を頻繁に襲っていたので、その被害にあった企業から懸賞金が出ていました。なので強さ以上に額が大きいのでしょう」
「ふーん、なるほどね。海賊王を目指している割には随分セコい稼ぎ方をしている」
海賊王という名前もずいぶん軽くなったものだなと、ツバキは呆れた表情を浮かべていた。
「この男の配下にもう一人だけ賞金首が居ましたが、今頃船と一緒に海の底かと」
「そっか、ご苦労さん。すごく良い連携だったよ。さすがは海軍中将だねェ。この調子で次もよろしく頼むよ」
「はっ、ありがとうございます!」
すっかり黙り込んでしまった海賊を海兵たちが数人掛かりで連行していく。
足に力がほとんど入っていない所を見ると、しばらくはまともに動く事すら出来ないだろう。
そうして一仕事終えた後、やっぱり働くのは大変だ、とため息を吐いた。
「これで今日捕まえた賞金首は五人目か。これじゃあ、いくら頑張って捕まえてもキリがないなァ」
大海賊時代と呼ばれる今、こうして掃いて捨てるほど多くの海賊が世界各地で暴れていて参ってしまう。
まだ海楼石の手錠や船の牢屋に余裕はあるが、このペースで埋まっていくとなればそう遠くない内に賞金首で溢れてしまうだろう。
これは予定を早めて本部に帰還した方が良いかもしれない。
成果を挙げずに戻ったとなればサカズキから大目玉を食らうだろうが、牢屋が一杯になるだけの海賊を捕らえているのだからその心配は要らないはず。
もっとも、ツバキはずっと陸地で生活してきたので長い船旅というものに慣れてはおらず、早く地上に帰って身体を休めたいという気持ちも無くはなかったが。
「もう少し賞金首を捕まえたら、少し予定を早めて本部に舵を切ろうか」
「そうですね。そろそろ訓練場の修繕も終わっている頃でしょうし」
「……センゴクさん、まだ怒ってるのかなァ?」
ツバキとサカズキが行ったあの戦いは、他ならぬセンゴクの手によって終結した。
いくら能力を使わないからと言っても二人の戦いが周囲に被害を齎さない筈もなく、センゴクが止めに入った時には既に訓練場は見るも無残な光景へと変貌していたのだ。
あのまま続けていれば訓練場を全面的に改修する必要さえ出てきただろう。
元帥という地位から退いたとはいえ、センゴクはまだ完全にはその職務から手を引いている訳ではなく、後始末という名の仕事は彼にも降りかかってしまうのだ。
おまけにそれをやっているのが現元帥と大将である。
これ以上仕事を増やすなと彼が怒るのも無理はなかった。
今ツバキがこうして海賊狩りをしているのも、どちらかと言えばその埋め合わせという側面が大きい。
「それでツバキ大将、次はどちらの方角へ向かいますか?」
「そうだなァ……向こう、かな」
そう言ってツバキは北東の方角を指差した。
これは決して適当に言っている訳ではなく、この航海中も今のところツバキが指差した方角へ進めば百発百中で海賊と遭遇していた。
「……やはりツバキさんには海賊が何処にいるのか視えているのですか?」
ツバキが指差す進路にあまりにも海賊と接敵していることを不思議に思ったたしぎは、気が付けばそんな疑問を口にしていた。
「そうだね。大体この海域くらいの範囲は視えてるよ」
ざわっ、と聞き耳を立てていた海兵の間でざわめきが起こった。
「それって見聞色の覇気、ですよね。そんな事が本当に可能なんですか?」
「できるよ」
断言されたたしぎはツバキの技量に改めて息を呑む。
覇気、それはある種の武の到達点である。
その中で見聞色の覇気を極めれば千里先まで見通し、さらには未来までも予知できるという。
まるでお伽話のような話ではあるが、ツバキの見聞色はまさにそれと同レベルの技量があるように思えた。
そこまで熟達した覇気を扱える者をたしぎは知らない。
海賊の中にはそういった強者もいるとは聞いたことがあったが、所詮それは見栄っ張りな者が広めた眉唾な話だと判断していた。
「でも、メイナード君なら似たようなことが出来るんじゃない?」
そんな話を振られたメイナードは苦笑いを浮かべながら首を横に動かして否定する。
「ご冗談を。私に出来るのは精々数十メートルまでですよ。ツバキ大将のように見えない場所まで見通す力はありませんし、そんな事が出来るなんて俺は聞いたことがないです」
ひとつの海域を丸ごと見通せるなんてツバキ大将くらいですよ、とメイナードは言う。
中将になる為には覇気を使えることがひとつの条件として存在しており、当然メイナードも覇気を習得している。
だが、それは決して海域を見通せるようなレベルには到底達していないし、これから先も到達できるとは思えなかった。
一緒にされては困るというのが彼の本音である。
「見聞色の覇気を扱うコツのようなものがあれば教えてください!」
そういって勢いよく頭を下げるたしぎ。
突然のその行動に一瞬目を丸くしたツバキだったが、すぐに困ったように頭を掻く。
「うーん、他の覇気に関して言えばちゃんと鍛えたり制御する為の訓練をしたんだけど、見聞色だけは特別な鍛錬をした事はないなァ。覇気って言葉を知らない頃から普通に使えたし。強いて言えば日頃から使うことが鍛錬になるのかな」
「生まれつきですか……」
たしぎは元々の才能が違うのだとツバキに言われた気がしてガクッと肩を落とした。
そんな様子の彼女に思わず苦笑する。
「――俺は生まれつき目が見えなかったんだ」
「え? で、でも……」
ツバキにはちゃんと瞳があり、今もその優しげなグレーの視線はたしぎに向けられている。
それは視力が無いと言うにはあまりにも不自然だ。
見聞色の覇気で補っているとしても、目と目がしっかりと合わさっているのは些か説明がつかない。
そんな彼女の疑問にツバキは懐かしむような表情を浮かべ、自身の目元にそっと触れた。
「うん、今はちゃんと見えてるよ。でもこの目は俺のじゃない。俺を拾ってくれた親父がくれたものなんだ」