藤色の若き虎12

 海よりも広い大空。
 人間の手が届かない遥か上空を渡り鳥の群れが自由に飛び回っている。
 陸や海とは違い、この領域は彼らにとっての楽園だ。
 高度を下げて地上や海面に近付き過ぎれば外敵からの攻撃に晒されてしまうが、天敵と呼べるような存在が殆どいない上空では風の赴くままに移動出来る。

 そんな渡り鳥の群れの近くを、巨大な『軍艦』があり得ない速度で飛行していた――。

「つ、ツバキさん!? もうちょっとスピードを落としませんか!?」

 手すりにしがみ付いたまま、たしぎは半泣きでそう叫ぶ。
 半泣きなのは彼女だけではない。
 むしろその程度で済んでいるなら良い方で、海兵の中には恐怖と身体へので気を失ってしまい、近くの仲間に腕を掴まれて助けられている者までいた。
 屈強な海兵たちも軍艦が高速で空を飛行するという摩訶不思議な体験には耐えられなかったらしい。

 そんな部下たちを前に、ツバキは平然とした様子で口を開く。

「叔父貴からは一分でも早く目的地に到着しろって言われているからねェ。文句は叔父貴に言ってくれ。それに怖いのは最初だけで、このくらいなら慣れれば何も感じなくなるさ」

「慣れる前に船から落っこちちゃいますって!」

「ははは、たしぎ大尉は大袈裟だなァ。もしも本当に落ちそうになっても、ちゃんと俺が能力を使って船に引き戻すから大丈夫だよ?」

「せめて休憩を! 少しで良いですから!」

 あくまでも食い下がって来る彼女にツバキは少し考える。
 確かにこのまま飛行を続けたとしても、目的地に到着してからまともに戦えるのはごく一部に限られてくるかもしれない。
 それならばこの辺りで一度休憩を挟んだ方が、結果的には麦わらの一味を捕縛しやすくなるだろうと。

「わかったわかった。それじゃあちょっとだけ休憩しようか」

 あまりに必死な形相で訴えかけてくるものだから、ツバキは船の速度を緩めて海へとゆっくり着水させた。
 浮遊感と身体にのし掛かっていた重力が消え、乗組員たちは皆一様に安堵した表情を浮かべている。

「皆んな、少し休憩にしよう。船の操作は引き続き俺がするから、君たちはゆっくり身体を休ませてくれ。あぁそれと、気を失っている人はちゃんと医務室に放り込んでおいてね」

「た、助かった……」

 すると、へなへなと足腰の力が抜けてその場に座り込んでしまうたしぎ。
 波に揺られる感覚がここまで有り難く感じたのは恐らく初めてだろう。
 流石にそこまで怯えているとは思っていなかったのか、その様子を見たツバキはバツが悪そうにしていた。

「あー、そんなに怖かったのか。ごめんね? その……大丈夫かい?」

「えぇ、なんとか。ツバキさんの能力って確か『ズシズシの実』でしたよね? 重力を自由に操れるっていう」

「うん、その通りだよ」

「こんな大きい軍艦を浮かせるなんて、疲れたりはしないんですか?」

「この船くらいだったら何も問題は無いねェ。何だったら次はもっと速くすることも出来るんだけど……どうする?」

「このままでお願いしますッ!」

 ツバキが食べた悪魔の実――『ズシズシの実』は、重力を自由に操作が出来るようになる悪魔の実だ。
 だからその能力を使えば船を空中に浮かせて高速で移動することも出来てしまう。

 海の上を進むよりも、こうしてツバキの能力を使って進んだ方がはるかに速い。
 もちろん能力を行使している以上ツバキに負担が無い訳ではないのだが、たかが軍艦一隻を浮かして移動する程度であれば大したことなかった。
 彼がその気になれば大気圏の外から隕石を降らせることだって可能であり、それを考えればツバキの言葉が決して強がりではないことがわかるだろう。

「はははっ、冗談だよ。多分残りの距離はそれほど長くないから、後はこのまま海の上を行くつもりだ。だから安心して良いよ」

「それは良かったです。……本当に」

 そして、へたり込んだままのたしぎに手を貸して立ち上がらせると、彼女はバランスを崩して『きゃっ』と短い悲鳴を上げながらツバキの方へと倒れて来た。

「おっ、と」

「す、すみません! 足にまだ力が入らなくて……!」

 ある意味戦闘よりも緊張していた時間を過ごし、そこから解放された為に、たしぎは上手く身体を支えることが出来ずに倒れて来てしまったようだ。
 ただ、女性一人がもたれ掛かって来たところでツバキの体幹はビクともする事はなく、彼女が倒れる前にしっかりと受け止めて見せた。

 しかしそんなタイミングで、同じくこの軍艦に乗船していたスモーカーは頭を押さえながら登場する。
 ちょうど二人が抱き合っているような光景を目撃する形で。

「クソ、ひでぇ目に合った……って、お前らは一体何を抱き合ってやがるんだ?」

「スモーカーさん!?」

 たしぎは異性と抱き合う姿を見られてしまい動揺するが、それでも未だに脱力状態から抜け出せずにツバキの腕から離れる事は出来なかった。
 次第に脳の許容量を越えてしまったのか、彼女は頭からプシューっと湯気を出して意識を手放してしまうのだった。

 

   

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