ツバキが子供たちを覇気で気絶させた場面が、映像電伝虫から送られてきた映像としてモニターに大きく映し出され再生されている。
画面越しからでも彼の怒気が伝わって来そうなものだが、ツバキの表情を映像電伝虫が映すことはなく、その感情がこちらにまでは届いていなかった。
そして、そんな映像を眺めている白衣を着た男。
薄暗い部屋の中で不気味な笑みを浮かべているその男は、お世辞にも善人だとは言えない容姿をしており、まさにマッドサイエンティストと呼ぶに相応しい風貌をしていた。
「シュロロロロ! 海軍のマヌケ共がぞろぞろとやって来たのは想定外だったが、実験台に使えるモルモットが増えたと思えば悪くない。ちょうど面倒を見てやっていた馬鹿共の数が足りなくなってきたしな」
白衣の男の名前はシーザー・クラウン。
彼こそが現在進行形でツバキに敵認定を受けている人物である。
幸いと言うべきか、今はまだ自身がどういう状況に置かれているのか理解していないらしい。
海軍大将が目前にまで迫っているというのにもかかわらず、あまつさえその部下を実験台にしようと画策しようなどとはあまりにも危機感が足りていない。
「さぁて、さっそく罠を仕掛けるとするか。じわじわ毒ガスで弱らせるか、それとも細菌兵器で一気にブチ殺すか……シュロロロロ! 考えるだけでゾクゾクしてきやがるぜ!」
「……待て、シーザー」
張り切って自ら地獄へと踏み込もうとするシーザーを止めたのは、サングラスを掛けた大柄な男だった。
膝下まである長いコートを身にまとい、見るからに堅気ではない容姿をしている。
「チッ、なんだヴェルゴ。せっかく俺様が気分良く連中をどう料理してやるか考えてたってのに水を差しやがって。この天才の思考を邪魔したからには、それ相応の用件があるんだろうな?」
シーザーは苛立ちを隠そうともせずに男──ヴェルゴを睨みつけるが、所詮は研究者であるシーザーの威圧など大して強くはない。
屈強な戦士であるヴェルゴからすれば野良犬に睨まれている程度でしかなかった。
そして、ヴェルゴはシーザーにとって最悪の事実を口にする。
「映像に映っている藤色の着物を着たあの男……あれは新しく大将として招集された男だ。島に引きこもっているお前でも噂くらいは聞いたことがあるんじゃないのか? 今や海軍最強とも言われている藤虎の名前をな」
「……まさかあいつが藤虎だってのか? 世界中の海賊を狩り回っているってイカレた海兵の?」
「そうだ」
ツバキの活躍は既に世界中の人間が知っている。
容姿、若さ、能力、地位、それら全てを持ち合わせているのだから話題性は抜群である。
その噂は島に引きこもっているシーザーの耳にも届いていたようだ。
ようやくシーザーは自らが置かれている立場を理解し、先程までの威勢が嘘のように取り乱し始めた。
「おいおいおい……! マジかよ、ヤベーじゃねぇか! そんな危ねぇ男がこんな島に何しに来やがったんだ!?」
「どうやら藤虎の部隊は麦わらの一味を追って来たようだな。そちらにも報告が入っているだろう。つまり、この島に奴が来たのは偶然だ」
「偶然だと!? ふざけやがって! そんな偶然が……いや待て。これがただの偶然なら、このまま隠れてやり過ごせば見つからずに済むんじゃ……」
「無理だな」
「なんでだよ!」
「既に藤虎たちはお前が実験台にしていた子供を見つけているんだ。海兵としてそれを放置するような連中ではない。奴らは今頃、お前を殺すか捕まえるかで悩んでいるんじゃないか? 俺の予想では良くて半殺し。最悪は……まぁいいか」
「最悪は!? 最悪だとどうなるんだよ! もったいぶらずにさっさと言いやがれ!」
「噂で聞いたんだが、藤虎はキレると相手を少しずつ潰していくらしい」
「つ、潰す?」
「ああ。藤虎は重量を操る悪魔の実の能力者だ。その力を使って、相手の身体を潰していくという話を聞いた。自分の身体が端から少しずつ潰れていく……その痛みと恐怖は計り知れないだろうな。どんな屈強な海賊でも一分も持たずに泣き喚くらしいぞ」
「お、俺はガスガスの実を食ったガス人間だ。だから潰そうとしてもそうは──」
「そんなもの海楼石の手錠を付けられれば意味は無い」
「ッ!」
自身がそうなる未来を想像したのか、シーザーはガタガタと恐怖で身体を震わせ始めた。
シーザーは他者を虐げ、痛めつけることに快楽を覚えるサディストだが、それが自分に向けられるとなれば到底耐えられる事ではない。
「ヴェ、ヴェルゴ。お前が死ぬ気で藤虎を倒せ! そうすりゃ全部解決じゃねぇか!」
「俺では奴には勝てん。以前に一度だけ本部で戦っているところを見たが、全く底が知れない恐ろしい男だ。戦闘力は他の海兵の比ではないし、俺が死力を尽くしても多少の時間を稼ぐのが精一杯だろうな。お前の身柄を守れと『ジョーカー』に命令されている身としては、今すぐ荷物を纏めて島から出ることをお勧めする」
「そ、そんな……」
ただでさえ青白いシーザーの顔がより一層青くなる。
この研究所は彼の城であり、好き放題に自分の実験を行える楽園だ。
例え自分の命に関わる事であっても、捨てろと言われて簡単に捨てることなど出来はしなかった。
「……駄目だ。この研究所には俺様の夢が詰まっているんだぞ。捨てることなんて出来る訳がねぇ」
「じゃあどうする?」
シーザーは考える。
如何にしてこの危機を乗り切るかを。
武力によって海軍大将を退けることはまず不可能であり、もっと汚い手段を使う必要がある。
(あのガキ共を人質にすれば何とか……いや、いっそのこと纏めて──)
しばらくの間そうして沈黙していたシーザーだったが、突然口元を三日月に歪ませると小刻みに震えていた彼の身体がピタリと止まった。
様子がおかしいと感じたヴェルゴが声を掛けようとした瞬間、今度は壊れたように笑い出す。
「こうなったら仕方ねぇ。まだ実験段階だったが──『シノクニ』を使う。最悪、俺以外の島の生物が全滅するが……些細な問題だよなァ? シュロ、シュロロロロ!」
狂気を浮かべるその姿は邪悪そのものであり、それはツバキが最も忌み嫌う種類の人間であった。