地を這うようにして高速で移動する一つの影。
時折、下駄で地面を蹴って加速していて、走っているというよりもいっそ飛んでいると表現した方が近いかもしれない。
驚くのはこれが悪魔の実の能力を一切使用していない点である。
ツバキは特殊な能力ではなく、身体能力だけでそれほどの速度を出していた。
「──そろそろかねェ? 奴さんも流石に気付いて動き出したみたいだし、こっちも少し急がねェと」
時に、ツバキが疾走しているのは敵地のど真ん中だ。
当然何度もシーザーの部下と思われる防護服を着ている集団とすれ違っているのだが、その度に有無を言わせず一刀のもとに斬り伏せている。
抜刀した瞬間を目で追うことすら出来ない居合術。
極限まで磨き抜かれ、芸術の域まで達しているそれは、斬られた側が気付かない内に胴体を二つに分けるほど。
ツバキが無理やり作り上げた道にはその死体がゴロゴロ転がっていた。
悲鳴を上げる前に死が訪れ、彼らが最期に見る光景は自身の下半身だった筈だ。
(アンタらが死ぬのは自業自得だ。あんな事に手を貸しているような連中は生かしちゃおけねェ……)
思い起こされるのはつい先ほど目の当たりにした光景だった。
無垢な子供たちが急に理性を失い暴走し、薬物と思われる『キャンディ』を寄越せと暴れまわる悪夢のような光景。
シーザー・クラウンが行なったくだらない実験の結果がそれだ。
彼が犯した罪を考えれば、その部下もまた同罪である。
そして、この島にいる時点で誘拐された子供以外は民間人ではない。
故に死体の山をいくら積み上げても、ツバキの心には何の罪悪感も生まれなかった。
もしかしたらシーザーの悪行を知らぬ者も中にはいたかもしれないが、だから何だと言うのか。
知らずとも手を貸している時点で罪なのだから、直接手を下すことに躊躇いなどあるはずも無い。
今のところ協力関係にあるトラファルガーも、子供たちの誘拐や実験に関わっているのであればその場で即座に斬り捨てていただろう。
ツバキの『正義』は、善人から見れば歪んでいるのかもしれない。
だが、だとしても彼にとってはこれこそが『正義』であった。
「おっと、まだ扉が残っていたか。さっきので壊れなかったなんて、中々頑丈な扉のようだ」
遥か前方には堅牢そうな扉が道を塞いでいるのが確認できる。
よく見れば所々歪んでおり、ツバキの攻撃によってダメージをしっかりと受けてはいるらしい。
それでも壊れていないという事はかなり頑丈な造りになっているのだろう。
速度を落とすことなく、無造作に刀を振り抜くツバキ。
すると、遠く離れた位置にあったその頑丈そうな扉に斜めの一筋の線が入った。
最初は薄い傷程度の線だったが、そこからゆっくりとヒビ割れが広がっていき、終いには派手な音を立てながら崩壊し始める。
「見つけた」
崩壊の衝撃で視界が遮られるほどの煙が立ち上る中、ツバキはの双眸はしっかりと獲物を射貫いていたのだった。
◆◆◆
「あの役立たず共め! 倒すどころか足止めすら出来てないじゃねェか!」
モニターには快進撃を続け、真っ直ぐとこちらに進んで来ているツバキの姿が映し出されていた。
既にシーザーは部下たちを大勢向かわせているが、結果は見ての通り全て一蹴され、向かわせた部下たちは全員死亡している。
シーザーにとって部下が死んだ事についてはどうでも良い。
ただ、今もあの死神のような男が自分の所へ真っ直ぐ向かって来ていると考えると、ただただ恐ろしかった。
「もう時間は無いぞ、シーザー。逃げるなら今しかない」
「うるせェ! あの男はこの島諸共『シノクニ』でブチ殺す! テメェはごちゃごちゃ言ってねェで死ぬ気で足止めして来やがれ!」
シーザーは仲間からの助言にすら耳を貸そうとはしなかった。
明確な脅威がすぐそこまで迫っている中、彼がここまで強気でいられるのには理由がある。
「──もうすぐ『シノクニ』の準備が整う。こいつを島中に解き放ちさえすれば、相手が海軍大将だろうと七武海だろうとブチ殺せる!」
『シノクニ』とよばれる化学兵器、それこそがシーザーの自信の源だった。
その兵器は未だ実験段階で不安定な代物だったが、それでも今の状況を打破するためにはこれしかないと彼は確信している。
そして解き放ちさえすれば、あの藤虎ですら殺せると本気で思っているらしい。
どれだけ相手が強くとも、条件さえ整えば殺せる自信がシーザーにはあった。
「……俺にはそう簡単にあの男がくたばるとは思えないがな」
ヴェルゴが思わずこぼしたその呟きは、忙しなく手を動かしているシーザーの耳には届かなかった。
仕方ないのでヴェルゴは言われた通りに足止めをしに行く為に動き出すが、その足が数歩歩いた所でピタリと止まる。
額から汗がハラリと流れ落ち、これまでの人生で感じたことのない悪寒が彼を襲う。
そして、大きく後ろに跳躍すると同時に目の前の巨大な扉が砕け散った。
「クソッ、もう来やがったのか……!?」
この部屋に出入りする為の唯一の扉が破壊され、シーザーの顔からサァッと血の気が失せていく。
煙が晴れると、そこには人の形をした怪物がこちらを睨んでいたのだった。