藤色の若き虎24

 迫り来る紫色のガス。
 ツバキは未来予知に近い見聞色の覇気を使えるので、本来こういった不意打ちなどはほとんど意味を成さない。
 だが、怒りに支配されかけていた為に見聞色が発動しておらず、更に一瞬だけとはいえ警戒を緩めてしまったことも不味かった。
 様々な要因が重なった結果、シーザーによる罠にまんまと引っ掛かってしまったのである。

「チッ! 待て、シーザーァ!」

 そして、シーザーはガスと同化してその場から姿を消してしまう。
 既に部屋中にガスが充満してきており、フィールドは完全に敵に有利な状態となっている。
 おまけにシーザーには戦うつもりなど一切なく、ガスと同化している所為か見聞色の覇気で探ってみても正確な位置が分からない。
 大した脅威だとは感じていなかったが、こうして逃げることだけを考えれられるとかなり面倒な能力ではあった。

 逃すまいとツバキはすぐさま刀を横薙ぎに振るい、その風圧で周辺のガスを吹き飛ばしたが、大きく広がっている一部を吹き飛ばしたところでシーザーの姿を見つけることは叶わない。

「シュロロロロ! あばよバケモノ。テメェはここでくたばりやがれ!」

 何処からか聞こえてくる声に苛立ちを隠せないツバキ。
 それは単純にシーザーに対する怒りもそうだが、敵をこうも簡単に逃してしまった自分への怒りも含まれていた。
 感情に左右されて隙を見せるなど未熟すぎる。
 それも多くの命を預かっている状況の中で我を見失ってしまったとは、正義を掲げる者として只々己を恥じるのみ。

 これ以上シーザーの思い通りにはならないと強く思い、あらゆる感情を飲み込みながらツバキは能力を解放した。

「──潰れろ」

「がはっ!?」

 重力を操作して部屋中に充満していたガスを一気に下に追いやる。
 いくら気体であっても重力の影響は受けるようで、部屋中のガスと一緒にシーザーの身体も地面へと叩き落とされた。
 こうして室内の重力を過度に引き上げればある程度は操ることが可能なようだ。 
 流石にガスの行き先を自由自在にコントロールすることは出来ないが、シーザーはこの状況下で身動きが取れずに芋虫のように這い蹲っている。

「そこか。今度はもう逃がさんよ」

 ガスとの同化が解かれたシーザーにゆっくりと近付いていくツバキ。
 いっそのことこれ以上妙な真似をしないように手足を折っておこうか、それとも目玉をくり抜いておこうか。
 そんなことを考えていると、シーザーは不穏な気配を察知したのか焦りと痛みで表情を歪ませながら口を開く。

「本当にデタラメな野郎だなァ……! だが、良いのか? お前がこうしている間にも、この施設中に『シノクニ』が充満するぞ。シュロロロロ、後ろのヴェルゴ見てみろ」

 喚くシーザーに意識は向けたまま、先ほど倒したヴェルゴを横目で確認する。

「あれは……石化、しているのか?」

 そこにあったのは身体がすっかり石に変わっていたヴェルゴの姿だった。
 まるで精巧な彫刻のように変質しており、ここから見た限りではとてもじゃないが既に生きているようには思えなかった。
 この短時間で全身が石に変わる毒ガスなど聞いたことが無い。
 驚いた様子のツバキに、シーザーは全身を襲う重力に脂汗をかきながらも愉快そうな笑みを浮かべた。

「その通り! このガスを少しでも吸い込めばその瞬間に身体が石へと変わっていき、いずれは死に至る……即効性抜群の優れ物だ!」

 その話が本当ならば非常にまずい。
 ツバキに単純な毒はほとんど効かないが、この特殊なガスは毒への耐性など関係無しに吸った者を石へと変えてしまう恐れがある。
 そうでなければ曲がりなりにも海軍の中将だったヴェルゴを一瞬で石に変えてしまうなど不可能だろう。
 いくら規格外に強くとも石にされてしまえばツバキとて死ぬ。
 このガスにツバキを倒す力があると考えれば、シーザーの妙な自信にも納得が出来る。

(……いや、あの男の生命力は少しも衰えてはいない。確かに吸えば石化してしまうのは本当だろうが、いきなり死ぬということはない筈だ。問題は治療ができるかどうか)
 
 ツバキはヴェルゴの生命力が衰えていないことを看破し、シーザーの言葉の中にあった嘘を見破った。
 とはいえ石化してしまうのは事実であり、いずれは漏れ出したガスが施設内に充満してしまう。
 そうなれば全滅だ。
 敵も味方も関係なく、ガス人間であるシーザー以外の生物は全員死に絶えてしまうだろう。

「シュロロロロロ! シノクニはもう止まらねェ。あっという間に施設内に充満しちまうだろうなァ……! 今すぐ助けに行かねェと、ガキも海兵もみんな死んじまうぞ、藤虎ァ!」

「そんな事をすればお前の仲間も死ぬぞ?」

「オレ様に仲間なんざいねェ! いるのは使い捨ての駒だけだァ! 駒であるアイツらがどうなろうとオレが知ったことか!」

「このクズが……!」

 清々しいほどのクズっぷりにツバキは言葉を失った。
 仲間や部下を駒扱いし、さらには平気で見捨てるなど、自分が無関係だとしても気に食わないこと。
 しかし、今はそれどころではない。
 一刻も早くガスの対処しなければ、そう遠くない内に施設内にガスが充満して部下や子供たちが死んでしまう。
 今は重力を操作して部屋からガスが漏れ出ていかないようにしているが、発生源がここだけとは限らないし、ずっとこの場にとどまってはいられない。

(どうする? このままじゃジリ貧だ。何か手は……うん?)

 刻一刻と状況が悪化していく中、ツバキはこちらに向かってくる人の気配を感じ取った。

 

   

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