藤色の若き虎31

 目の前に佇む巨大な怪物をツバキは見た事がなかった。
 咄嗟にスライムという単語が出たのはただの思い付きだったが、泥というよりは確かにスライムの方が近いように見える。
 尤も、普通のスライムは勝手に動いたりここまで巨大なものはない筈なので、あれをスライムと呼んで良いのかは疑問ではあったが。

(あれもシーザーが作り出したものなのかねェ? まったく、次から次へと面倒なものを運んできてくれるじゃないか)

 戦闘力自体は大した事なかったが、シーザーの研究には厄介な物が多い。
 もしもその頭脳をベガパンクの様に世界の為に使っていれば……と思ったが、元々は政府の科学者として働いていた事を思い出し、味方に置いておく方が危険だと勝手に納得する。
 よく考えればあの男が自分以外の為に動くことなどあり得ないし、シーザーの能力を考慮しても手元に置いておくにはリスクが大き過ぎた。

「おぉぉぉ!!? なんだアレ、すっげェ!!!」

 そう目を輝かせているのは麦わらのルフィ。
 海兵の中には驚いて腰を抜かしている者もいるというのに、相変わらず彼と一味の数人は巨大な怪物を前にしても狼狽えている様子はなかった。
 それだけ修羅場を潜って来たのだろう。
 どれだけ訓練で鍛え上げて実力を付けても、経験という意味ではツバキの部下たちは麦わらの一味に遠く及ばなかった。

「ツバキさん」

「何かな、たしぎ大尉」

「あれ、倒せますか?」

 あまりにも当たり前の質問ではあるが、質問した彼女も別にツバキの実力を疑っているわけではない。
 ただ、一部の海兵に動揺が広がっていたので敢えてそういう言い方をしたのだろう。
 巨大なスライムを見て腰を抜かしている者もいる中で、そういう気配りが出来るのはこの部隊では恐らく彼女だけである。

「愚問だねェ。だが、倒せるとは思うけどあそこまで獲物が大きいと島への被害が大きそうだ。下手すりゃこの島が地図から消える事になるかもしれない」

 どれだけ大きくともそれに強さが比例するとは限らない。
 事実、あの化け物から感じる脅威はそれほどではなかった。
 とはいえシーザーが根城にしていた島から出てきた以上、何かしら厄介な能力や性質を持っていても不思議ではないとツバキは考える。

「しかも見るからに触ったらヤバそうだし。だけど──」

「……ッ!」

 心配いらないよ。
 と、ツバキは笑った。
 その迫力に少し気圧されてしまったたしぎだったが、それを誤魔化すように眼鏡を掛け直して心を落ち着かせる。

「で、でしたら私も少しはお力になれるのではないでしょうか?」

「ふむ……」

 正直なところ、たしぎはこの場に置いて一人でスライムを倒しにいくつもりだった。
 そこまで脅威を感じられないとはいえ、凶悪な見た目をしているのでどういう能力を持ち合わせているのか分からないからだ。
 自分だけであれば大抵のことは切り抜けられるが、彼女の実力では不測の事態では対処しきれない可能性があった。

 しかし、危険を遠ざけてばかりでは成長することが出来ないのもまた事実。
 なので今回は彼女の意思を尊重することにした。

「それじゃあ一緒に来るかい? 怪物退治といこうじゃないか」

「は、はいっ。お伴します!」

 ビシッ、と綺麗な敬礼を返すたしぎ。
 そして他に希望者がいないか周囲の海兵に視線を向けるが、誰もツバキの目と合わせないように明後日の方向を向いていた。
 海賊相手ならば我先にと斬り込んでいく彼らも、未知の怪物が相手となると二の足を踏むらしい。
 見た目だけならあのスライムは確かに恐ろしい容貌をしているので海兵たちが怖気付くのも無理はないかもしれないが、麦わらの一味……特に船長であるルフィがあそこまで元気なのだから多少頼りなく思えてしまう。

「俺はここに残る。コイツらを指揮する必要があるし、何よりあの二人を見張っておく奴が必要だろうからな」

「あぁ、助かるよ。スモーカー君」

 たしぎ以外で唯一戦力になりそうなのはスモーカーだが、自分が動く以上は彼をこの場に残すしかない。
 待機ばかりで色々と不満が溜まっているだろうが、こればかりは仕方がなかった。

「ツ、ツバキ大将。我らもこの場を死守致します!」

 これ幸いとばかりに便乗してくる部下たちに、思わずため息がこぼれそうになった。
 自分の訓練を受けておきながらあんな木偶の坊程度にビビるなど到底許せるものではない。
 故に、日頃の訓練をより厳しくすることは必然だった。

「……君らは帰ったら訓練の量を増やすから、そのつもりでね」

「えっ!?」

 絶望の表情を浮かべる海兵たちをそのまま放置し、ツバキは次に麦わら達の方に視線を向ける。

「俺たちはあのデカブツを倒しに行くけど……君たちはどうする?」

「おれも行く!」

「フッ、即答かい。自分の身を守れるのなら好きにすると良い。尤も、君らが到着する頃には終わっていると思うけどねェ」

「きゃっ! ちょ、ツバキさん!?」

 ツバキは言い終わると同時にたしぎを担ぎ上げ、地面を蹴った。
 抉れるほど踏み込み込んで砲弾のようなスピードで駆け出したのである。

「野郎どもー! ツバキに遅れを取るなァー!」

 それから一瞬遅れてルフィ、ゾロ、フランキー、そしてロビンがツバキの後を追う。
 しかし、その光景を近くで身を潜めながら監視していた存在には、誰も気付くことはなかったのだった。

 

   

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