スモーカーとモネが接敵していた頃、ツバキもまた巨大スライム──『スマイリー』を至近距離から視界に捉えていた。
全体的に赤く、それでいて顔のようなものがしっかりと確認できる。
スマイリーはシーザーが悪魔の実を用いて作り出した生物兵器であるが、コレには知能と呼べるようなものは存在しない。
あるのは近くにある物体を呑み込み、ひたすらに成長を繰り返すという使命感だけだ。
ツバキは知る由も無いが、スマイリーは悪魔の実を取り込んでいるので海水が弱点であり、実は知能が無い故にこのまま放置すればいずれ勝手に海へと落ちて自滅するのみであった。
シノクニも元はこのスマイリーを参考にして開発された兵器だったりするが、それはもはやどうでもいい事実だろう。
「……これまた近くで見ると呆れるくらいのデカさだねェ。見るからに物理系の攻撃に強そうだし、普通に斬っても倒せるか怪しいもんだ」
大きさで言えば海軍の軍艦よりも遥かに大きい。
自分の剣技には自信を持っていたツバキだったが、目の前の生物を斬撃で倒し切るというイメージが不思議と湧いてこなかった。
勿論、攻撃の手札としては刀以外にも色々とあるので、それらを駆使すれば倒せないということは無いだろうが。
「ツバキさん、どうやらあの怪物以外にも敵が潜んでいるようです」
「みたいだねェ」
戦意を滾らせる中、それを邪魔しようとする集団がいる事には既に気が付いている。
防護服を着ている者達。
施設の中で襲い掛かってきたシーザーの部下達だ。
数は凡そ30名ほどであり、息を潜めながらこちらに襲い掛かるタイミングを図っていた。
ルフィとその仲間達が向かって来ている筈だが、恐らくまだあと数分は追い付いて来れないだろう。
ツバキは能力で重力を操作しながら高速で移動してきたので、雪道に慣れていない彼らはその速度について来られなかったのだ。
「周りにいる敵はたしぎ大尉に任せるよ。何人か強そうな奴もいるけど……まぁ、大尉なら大丈夫。もしも危なくなったら手を貸すから」
「ありがとうございます。ですが──」
そこで言葉を区切り、たしぎもまた居合術を披露する。
高速で抜刀された刀からは斬撃が飛び、それによって赤い鮮血が宙を舞う。
忍び寄っていたシーザーの手下の一人が短い悲鳴を上げながら絶命した。
それはツバキのものと比べれば数段劣る居合術だったが、動作を見れば誰を手本としているかは明白だった。
「私の心配は無用です」
どうだ、と言わんばかりに胸を張るたしぎ。
上司であり教官でもあるツバキに、自分が成長している姿を見てもらいたかったのかもしれない。
「やるねェ」
「彼らは私にお任せを。ツバキさんはあの怪物に集中してください」
「あいよ。ホント、俺の部下には頼もしい人が多くて助かる」
嬉しそうにツバキは笑った。
想定以上に彼女が成長していたこともそうだが、何よりこちらの意図を汲んでくれた事が嬉しかったのだ。
今の彼女であればこの場を任せても十分にお釣りが来そうなくらいである。
有象無象はたしぎに任せ、ツバキはスマイリーへと向き直る。
そして流れるように居合の構えを取ると、周辺の空気が僅かながらに重くなり、たしぎは背中に圧を受けて若干の息苦しさを感じた。
敵に意識を向けながらも一挙一動を見逃さないように観察する。
普段の穏やかな表情からは想像できない真剣な顔。
ピンと張り詰めた空気の中、ツバキの声がはっきりと響く。
「──地獄旅」
刀をスライムに向けて振るった。
振るったと言ってもたしぎにはその速すぎる居合術を見切ることは出来なかったが、納刀する音が聞こえたので間違いなく居合術を放ったのだと分かる。
一瞬だけ静寂に支配された、次の瞬間、空間が軋む音が聞こえてきた。
『──ッ!!!!!』
スライムからも悲鳴のような叫び声が響いてくる。
ゆっくりと、しかし確実にのし掛かる重力が加速度的に増えていく。
先にそれに耐えられなくなったのはスライム……ではなく地面の方だったようで、周囲一帯の地面がスライムごと大きく陥没した。
「……やっぱりこれでも倒せないか」
ツバキは少し不機嫌そうにそう呟いた。
地面が円形状にくり抜かれたような光景が広がっているが、スマイリーはまだそこで蠢いている。
外見は多少形が変わっている気がするものの、徐々に元に戻っていっているところを見るに、むしろダメージを負っているかどうかすら怪しいものであった。
チラリとたしぎの方に視線を向けると『行ってください』と目で強く訴えかけられたので、ツバキは小さく頷いて十メートルほど陥没した地面へと降りていったのだった。